あおぞらマーケットからのお礼のことば

南部町で小さな朝市始めました。出会った人に伝えきれない思いを書きます。

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柿農園をやろうと思った話

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去年の初夏の画像このころの柿畑が一番好きです。

商売する柿農家ではなく、

みんなの思い出が出会う場所を

残す柿農家になりたいと思った。

 

柿農家は年間でいろいろ準備や世話があるのに

収穫時期はおよそひと月で、選果場等にお世話になると

諸々経費がかさみ、ほとんどもうけが出ません。

 

うちの近所のような小さい柿農家は、経済効率が悪く

柿の消費も減っているため、最近は販売をあきらめて

自家消費分だけ作るか、廃業して木を切ってしまうのがほとんどです。

 

世話する人たちもだんだんと年を取っていくわけで

仕方ない流れなのかなと思っていたとき、私のところに

「柿畑を管理してもらえないか?」と老母から打診がありました。

 

この時点では、あまり乗り気でなかったのですが

一度見に行ったら、昔ここで遊んだことや、死んだ祖父母がここで取れた柿を大事に青果市場に出荷するのに立ち会った

ことを思い出しました。

 

思い出したら草が生えまくっているのは何か嫌になって

下手なりに週末草刈りに行っていました。

 

そうしたら、目ざとく地域の方が見ていて話しかけてこられました。

「草刈りへただな。こうやってやるとスムーズだ。」とか

「昔、ここの柿をもらって食べてな。」とか

「儲からんのに、よくやってくれた。」とか

周りの方に励ましてもらうこととなりました。

 

そして運命の日、あるおじさんが畑にいる私を訪ねてきました。

それは死んだ父の友人で、

「親父によく似たやつが草刈りをしてると聞いて、一言言いたくて来た。

 ここは俺にとっても思い出の場で、木を植える時の

 地面に掘った穴に入って遊んだりした。よく怒られたけど

 あれから60年近くおじいさんもおばあさんもよく世話をされて

 今みたいに裕福じゃなかったからみんなで教えてもらったりして

 がんばったもんだ。俺は結局途中でやめたけど、お前の親父は

 ずっと続けていたんだ。たいしたもんだったよ。」

と言って帰られました。

 

名前は聞いたんだけど誰だか分らなかったので

離れたところにいる嫁いだ叔母に聞いたらその人のことや

その当時のことを話してくれて、自分の思ってたよりも

大切なことがわかり少し続けてみようと思ったのを覚えています。

 

とはいえ、気持ちだけでは続かないので

道具だったり、栽培方法だったり、わずかながら販売方法だったりも

その後出会って、自分にとって無理なくできる範囲で

できるようになって、今の形になりました。

 

その後もこのおじさんのような知らない

エピソードを持ってくる人がいて

なんやかやありますが、離れられないような気持ちになってます。

 

一人で考えてると飽きてきて、嫌になったりすることもあるので

またよかったら読んでやってください。

 

 

 

子育てしながら田舎生活するブログもやってます。

otousannnosigoto.hatenablog.com

 

 

 

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